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いとしい恋人の人差し指は、私の鼻の穴には入らない。

鼻フックはしません。 元「指輪は・・・」7号の同性愛ブログ

1995年1月17日

7号は高校生でした。
今でもあの日の朝の爆音が頭から離れません。
ウチは自営業の御店をやってるので1Fにはまだおとうと
(御犬様・シベリアンハスキー)が居たし、当時大阪では
震度4だった筈ですが物凄い揺れと音で叩き起こされました。
当時は亡くなった父方の祖母が編んでくれた頑丈な靴下を
家族で履いて居たから、揺れが収まってから直ぐに1Fへ行き
ガラスやら色んなものが割れて散乱して居るなか、おとうとの
安全を確認し乍ら俺は一旦裏口のドアを開けて真向いの
コーポから女性が出て来たので「大丈夫ですか!」と御声掛け
しました。そのかたとは何の面識も無かったけれど
「大丈夫ですー、ああ、腰が抜けて・・・」と云われたので、
喋られるうちは大丈夫だな、と思い自宅へ戻って家族の安否を
改めて確認しました。
当時、一切の関りが無かった兄からでさえも「大丈夫か」
云われました。取り敢えず家族は皆、無事でTVを点けて何が
起こったのか様子を見ることになり母が沢山のおにぎりを作って
くれたことを覚えて居ます。

当時俺は神戸の高校へ通って居たので一体どうなるのか、
全く判りませんでした。先の見え無い長い御休みに入りました。
何しろ電車が動か無いので自宅待機。
神戸方面へ住んで居る友人らに連絡を取ろうとするも幾人かは
電話が通じませんでした。怖かったです。
徐々に明らかとなる震災の恐ろしさ。
潰れた建物、ビル、橋桁、線路、燃える町並み。
ニュース番組が、TV番組がとんでも無いことになっておりました。
阪神淡路大震災です。
部屋や御店を片付けて頑丈な靴下を編んでくれたおばあちゃんに
家族で感謝しつつ、時が過ぎるのを見守るしかありませんでした。

連絡が取れ無かった友人らとも少しずつ安否確認が取れ、
学校は休校状態で不謹慎ですが俺は先の見え無い御休みを
楽しんで居たと記憶しております。
そんなこと今迄、経験したこと無かったですから。
学校の連絡網か何かで関わったことの無い学年の先生が亡くなった
ことや避難所に居る友人のことを知りました。
一体、如何ほどの休校状態だったのか覚えてませんが、途中迄は
電車が通って居るので一先ず学校へ向かいました。
電車の窓から見える景色に段々と唖然としてゆきます。
屋根が一階に落ちて来て居てぺしゃんこになって居るおうち。ビル。
歪んで居る道。がれきの山。外で暖を取る人々。
途中からは歩いて通学です。今、思い返すとよくあんな道を見付けた
ひとが居たもんだなあと云う感じ。
長い道のりですが傍で壁掛け時計が止まったまま放置されて居たり
「避難所の○○に居ます。皆、無事です」
などの張り紙などを目の当たりにして歩いて居ると疲れとか、何も
感じませんでした。不謹慎ですけど漫画の「AKIRA」みたいな世界に
なって居たのをよく覚えて居ます。

引き続き学校は休校になり、せめて献血だけでも、と思い
献血ルームに友人と行きましたが友人の「妊娠してるかも知れ無い」
と云う、まさかの事情を聞いて絶句。急遽献血取り止めました。
道路が少しずつ回復して行き学校周辺迄のバスが出ることになり
途中迄はバスで、途中からは徒歩で通学することになりました。
街は相変わらずがれきの山です。
取り敢えず歩く道だけでも作ろうか感が凄かったです。
持って居た飴を自分が出来る範囲で全倒壊したおうちに置いたりして
歩いてました。不思議なもので「歩くしか方法が無い」となると結構
人間って文句を云わ無いものでして普通に友人らと歩いて通学
してました。途中、墓地を通るので痴漢が出たりしてました。
学校は被害は無かったけれど朝、皆が揃ってホームルームを始める
ことは殆ど無く遅れて来るひとも普通でした。
状況が状況だから先生たちも何も云いませんでした。
春休みが物凄く遅くなったことを覚えて居ます。
歩いて帰宅して居る途中のコンビニさんで家族用のインスタント食品
を買って居ると「ださー」と知ら無い同じ制服のひとに笑われました。
疲れたときは、途中に在る公園で友人らとブランコに乗って休憩し、
途中に在る避難所で「何が御入用ですか」と伺ってメモと統計を取り
少しずつ持って行けるものは持って行きました。
御水や衣類や使い捨てカイロやタオルや生理用ナプキンなどです。
ビニール袋などが非常に喜ばれました。

この年のF-1鈴鹿グランプリも地震の影響で中止になったことを
覚えて居ます。残念とか、思う気持ちは何も無かったです。
だって毎日被災者のかたが増えてゆくのですから。
ぐにゃぐにゃになった阪神高速神戸線は623日で全復旧したそうです。
要予約ですけど当時の橋桁や高速道路の柱が、そのまま保管
されて居て見たり触れたりすることが出来るセンターが今も在ります。
『阪神高速道路技術センター』さんに御問い合わせしてみて下さい。
係員のかたが付きっ切りで説明をして下さるそうです。

当時の神戸を歩いたことの在るかたは「忘れろ」と云われても
きっと忘れられ無いのではないかな、と思う、
それが阪神淡路大震災です。
亡くなったかたに祈りを。
当時、頑張って復旧作業して下さった皆さんには感謝を。
今も尚、不自由な生活をされてるかたには労わりを。
どうか、今日も、穏やかに、過ごせますように。
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  1. 2018/01/17(水) 08:20:11|
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